台湾(12)~中正紀念堂で考える蒋介石の功罪

<前回>

 日本からやってきた親戚もいて台北市内では、中正記念堂と衛兵交代式は欠かせない必見スポットである。朝早くから見学に出かける。

 中正記念堂正面のアーチは、台北市内で最大規模のアーチだ。元々、アーチの上の銘板の題字は「大中至正」で、2007年12月に「自由広場」の4文字に置き換えられた。いわゆる非民主(独裁)とされる蒋介石(蒋中正)時代の終焉を告げようとする政治的な意図が込められていたことは言うまでもない。

 蒋介石本人に対する賛否両論も、21世紀に入ってより鮮明に分かれるようになった。日本人のなかでも蒋介石に否定的な人が多い。歴史的に二・二八事件の弾圧を発端に台湾人(本省人)と中華民国人(外省人)の間に亀裂が生じ、以来様々な形で対立は消えることはなかった。

 多くの日本人は、親日的な本省人のことを同情し、外省人に否定的だった。日本人の立場(視座)からすれば、むしろ当たり前のことだ。そして今の台湾では、中国の強権を前にして本省人と外省人の区別を超えて親日的な「台湾人」が増えていることも事実だ。ただし、これは原初的な感情よりも、政治的立場に由来するものである。

 蒋介石を含めて言えることだが、そもそも後世が後付的に歴史的人物や事件を評価するのは、往々にして中性的とは言えない。その時、その場所、その人物、置かれた諸条件という歴史的視点をもって、歴史的人物の内在的論理を捉えたうえでそれらを評価する必要がある。

 もう1つは当事者自身の利害関係に立脚した評価も、中性的とは言えない。「親日的」というのも1つの利害関係だ。人間は常に利害関係を脊髄反射的に考えるのだから、良し悪しでなく、あって当たり前のことだ。台湾有事は日本有事もまた然り。日本人は果たして台湾を守るためにどこまで自己犠牲を引き受けられるのか。

 利害関係を理性的に考えられない場面も多い。台湾はもし、いずれ中国に統一されるという結果が変わらないのであれば、いかに損の少ない、得の多いされ方を取るかを考えた方がいい。敗戦して降伏するよりも、早い段階で主導権を握っている間に交渉したほうが断然有利だ。

 ただ誰もがそう切り出せない。理性的にものを語ると、不利益を蒙るからだ。たとえば、「(ウクライナ戦争での)ロシアの勝利を信じる」と言っただけで、党の除名処分を受けてしまう鈴木宗男氏はその代表的な事例だ。

<終わり>

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