階級社会の真実(13)~「和を以て貴しと為す」を捻じ曲げた日本人

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 上層入りが無理でも、下層脱出はできる。とにかく、下層を脱出しよう。しかし、どうしても下層脱出できない人がいる。99%の人は下層を脱出することができない、という残酷な事実が横たわっている。なぜ下層脱出できないのか。3つの大きな理由がある。逐一解き明かしていこう。

● 正論に異を唱えられない

 1つ目の理由は、教育洗脳文化という仕組みはすでに説明した。では、洗脳教育とは何か。簡単に言うと、誰もが反論できないような正論を教えるのが洗脳教育である。もう少し具体的に例示しよう。

 「和を以て貴しと為す」と言えば、日本人の美点として世界的に認められている。「それが間違っている」と言う人がいるのだろうか。いや、それを言っただけで「和」を破壊する悪になるから、なかなか言えない。「和を以て貴しと為す」は、いわゆる誰もが反論できないような正論だ。では、肝心な「和」とは何か?

 「喧嘩しないで、みんなと仲良くするのよ」。朝、こうして子供を学校に送り出すのは、典型的な日本人のお母さんだ。喧嘩しないことは、和である。「和を以て貴しと為す」、聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる言葉だが、「皆で仲良くやろう」と理解し、実践している日本人がほとんどだ。果たしてそうだろうか。

 十七条憲法の第十七条では、「十七に曰く、夫れ事は独り断ず可からず、必ず衆と与ともに宜しく論ずべし。少事は是れ軽し、必ずしも衆とす可からず、唯だ大事を論ずるに逮およんでは、若もしくは失有らんことを疑ふ。故に衆と与ともに相ひ弁ず。辞じ則ち理を得ん」と記されている。

 現代語に訳すと、「第十七条 国家の大事は独断せず、必ず皆で合議せよ。些事は軽き故に必ずしも合議せずともよし、されど大事を論ずるに至っては、少しの過失有るを恐る。故に皆で十分に論議を尽くすべし。さすれば、その結論は必ず道理に通ずるであろう」となる(高島米峰著『十七条憲法略解』、安岡正篤著『人生の大則』)。

 この十七条は、一条の補完として読むべきだろう。すると、「和を以て貴しと為す」とは、決して単純に「皆で仲良くやろう」という意味ではなく、むしろ十分に議論を尽くそうという呼び掛けであることがわかる。では、「十分に議論を尽くす」とは、どのような状態を指すか。

 第十七条の最後の一言「さすれば、その結論は必ず道理に通ずるであろう」がその説明になる。つまり、「道理に通ずる」ところまで議論するということだ。「道理に通ずる」あるいは「道理にかなう」とは、人の行いや物事の道筋が正しく、論理的であることを意味する。聖徳太子はその時代にすでに「論理的な議論」の重要性を認め、議論を呼び掛けていたのだった。

● 「和を以て貴しと為す」はなぜ捻じ曲げられたのか?

 しかし、今日の日本社会では、聖徳太子が提唱した「論理的な議論」が行われにくくなった。議論の場がないというよりも、議論するムードが醸成されていない。議論は「対事型」(What)でなければならない。それが「対人型」(Who)に転じた時点で、対立が生まれ人間関係に亀裂が入る。議論を持ち掛けると、「かみつき」と見なされ、コミュニティから排除・疎外されるのは、今の日本社会だ。

 「和を以て貴しと為す」を基調とする今日の日本型共同体では、人間同士の意見対立が「和」を壊す元となるが故に、議論が忌避されてきた。議論なき社会は、奴隷社会である。奴隷には議論する権利がなく、奴隷はただただ主人の指示に従って労働(行動)するのみ。今の日本人は身体的自由があっても、精神的な自由がすでに奪われたのである。

 「和を以て貴しと為す」の真意がこのように捻じ曲げられた、その歴史的、文化的経緯はどのようなものか。その考察も必要だが、それよりも、捻じ曲げられたところはなぜ、社会的に是正されなかったのか。間違いを間違いのまま押し通す、その最大の受益者は、支配者・上層階級にほかならない。

 議論をなくして、真理はなし。支配者・上層階級は、階級・利益集団の対峙という構造を隠蔽し、フラットな社会という虚像を作り上げ、偽りの和の下で大衆・下層階級がいつまでも、従順な奴隷として、規律を守り、来る日も来る日も労働し、再生産を繰り返すことで、その地位を守り、莫大な利益を手にするのである。

 このように、フラットな社会、平等、ルール順守、勤勉…、この一連の、あたかも日本社会や日本人の美点であるかのような美辞麗句は、いかなる反論をも許さずに、日本人下層階級という奴隷を縛る鎖になったのである。しかも、奴隷が自分を縛る鎖の出来を自慢できるほど精巧につくられた鎖として、ついに奴隷は鎖を勲章と見なしてしまうのである。

 現に奴隷は鎖を勲章として自慢しているし、鎖の存在を指摘する声を敵視までし、排除、抹殺している。奴隷の身分を甘受し、奴隷であることを誇りにする奴隷は無論、奴隷から脱出することはできないだろうし、必要もなかろう。
 
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