社会を変えるか自分を変えるか、日本人の不作為

 私は以前在職中の会社を変えようとしたところ、親切な上司にこう言われた。「君の力で会社は変わらない、君で変えられるのは君自身だけ」と、実質的退職勧告だった。私はそれで会社を辞めたが、会社(組織)を変える夢は諦めなかった。

 ついに、私は経営コンサルタントになり、いろんな会社を変えることができるようになった。こうしている間に、欲が出て、会社よりも社会を変えようと考えた。

 格闘して十数年、結果が出た――無理。社会は変えられない。無理と分かった以上、無駄なことはしない。政治は諦め、本を書くのも印税対価が低く話にならないので、やめた。

 自分のサイトやSNSで書いているのは、思考の整理、パーツの組み立て、経営コンサル現場で商材になるから、やっているだけ。本業の副産物といったところだ。

 日本を見渡して本気で社会を変えようとする人よりも、社会に文句を言っている人が多い。「べき論」の垂れ流しがほとんどで、案もなければ行動を起こす気配もない。ただ、鬱憤晴らしもガス抜きも必要だから、否定はしない。

 個人ベースで考えると、自分や家族の生き残り、幸福がすべてではないだろうか。国家というが、国が潰れてまだしも、家は潰れたら困る。そういう意味で、国と家のデカップリングが必要だ。脱・日本だ。

 海外移住という話をすると、移住できるだけの財産をもっていないと諦める日本人が多い。移住は何も資産家の特権ではない。海外で稼げばいいのではないか。そういわれても海外は厳しいと、諦める。要するに不作為に理由をつけているだけだ。

 そういうところは、生命力、サバイバル力という意味で、平均的に日本人は中国人よりはるかに劣っている。海外に出てきて失敗しても、帰国する道が残っている。背水の陣が敷けない。日本人は守られているから、ダメになってしまっている。

タグ: