フーコック島(3)~韓国人から学べない日本人

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 私が泊まる「Sonaga」というリゾートは、オーナーが韓国人。一応5つ星だが、1泊2名分の朝食付で55ドルとなぜか異常に安い。気が付いたら、サービスは5つ星レベルに及ばず、どうもぎこちない。あとからわかったことだが、韓国人がベトナム人からホテルを買い取ったばかりで、人事もころころ変わり、まだ運営安定期に入っていないと。その分安くしておくのも頷ける。

 マレーシアもベトナムも、アジアのどんな田舎へ行っても韓国人のビジネスマンがいる。彼らは土着し、ローカル感覚満点。強かでしぶとい、時には狡猾だったりもする(すべて誉め言葉)。生命力に満ちている。残念ながら日本人にはこんな韓国人から学ぶ姿勢が見られない。傲慢のまま日本は韓国に追い抜かれつつある。

 そして私のこのような投稿記事を見て、「反日」と脊髄反射する似非保守は愚の極み。

 私は日本社会に「外柔内剛」という言葉を使っている。日本人は組織内部のポジション取りにしか興味がない。外部には無知、無関心。私はよく居酒屋で日本人サラリーマンの会話を「盗み聞き」するが、大半が会社の人事、内部付き合いの話。世界がどうなっているのか、日本人はほとんど知らない。問題があれば、私は「悪くない」と。

 組織や国家が崩壊に向かっていても、宮台真司氏いわく「タイタニックが90度に傾いても、日本人は船内の一等船室取りに没頭する」

 日本人は、自国が韓国や中国に負けたという「事実認識」を受け入れられない。そこで先方の汚い戦い方という「価値判断」で批判する。ただ価値判断(主観)は事実認識(客観)を変えることができない。あえて価値判断するなら、その辺の日本人の執拗さを、私は「狭窄」「醜悪」と評する。

 ルールは勝者によって決められる。この事実認識は価値判断の余地を排除する。

 日本人は潔く負けを認め、痛みを伴う自己革命に踏み切り、臥薪嘗胆の再起を実現するならば、最上の美学であろうが、そこまでの美しさは期待できそうにない。

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