ペナンと言えば、屋台。夕食はホテルから徒歩5分のところにある「ニューレーン屋台村」(New Lane Street Foodstalls)で取る。年を取ったせいか、ここ数年は自分自身の「A級グルメ離れ」が進んでいることを実感する。もう1つ、これも加齢に関係してノスタルジー、日本語でいうと「懐古」あるいは「郷愁」の感情が湧きやすくなった。
近年、「古きよき時代」に対する郷愁をコンセプトにし、売り上げにつなげるマーケティング、いわゆる「ノスタルジーマーケティング」の施策が増えてきた。ただここマレーシアの屋台は、そうした人為的なものよりもほぼ自然体のまま残されたものであり、遊園地感覚を抱かせることはない。そういう本物の屋台は、私の最愛だ。
「古き良き時代」という表現だが、古ければ良いのか。あくまでも個人の主観的な価値判断だろう。
過去の出来事や時代は、時間が経つにつれて良い面が強調され、悪い面が忘れられやすい。人は一般的に、過去の経験を美化する傾向があり、それが「古き良き時代」という表現に繋がっている。過去の安定した時期や、個人が幸福だった時代が「良き時代」として記憶されるのである。
現代の急速な技術進歩や社会の変化により、不確実性やストレスが増大していると感じる人が多い。そのため、変化の少なかった過去の時代が「良かった」と感じられるのである。過去に対する憧れは、現代の複雑さや困難さに対する反動であり、安心感を求める心理が働いている。
個々人が「古き良き時代」と感じる背景には、その人の人生経験が大きく影響している。例えば、子供時代や青春時代を過ごした時期が、楽しい思い出として心に残っている場合、その時代が「良き時代」として語られる。また、過去の特定の出来事や人間関係が幸福感を与えた場合、その時代全体が良く思い出されることがある。
歴史的に見て、経済的困難がなかった時期、または社会的な安定が続いていた時代は、「良き時代」として記憶される傾向がある。社会全体が繁栄し、個人の生活も安定していた時代は、後になって理想化されることが多い。
総じて言えば、「古き良き時代」という表現は、過去を美化する心理や文化的価値に根ざしている。現代の複雑さに対する反動や、個人の経験に基づく郷愁もその背景にある。
もちろん、私も「古き良き時代」派の一員である。